ある日地図を見たその時から思い描いていた「8日間マナウス―マルガリータ島往復4000㎞の旅」
マナウスを出発してからジャングルの中を貫く赤絨毯の道との苦戦や大草原を突っ走る心地よさ、ヴェネズエラ軍兵士による検問や軍隊フェリー事件など様々な体験を繰り返し、多くの感動も得てもうすぐマナウスに帰れるというところまでやってきました。
いよいよ終盤のラストスパートの状況ではありますが、あのジャングルを貫く「赤絨毯の道」が7日間の間にまったく別の顔を見せる変貌ぶりで我らの行く手を悩ませることになります。
ラストランの様子をお楽しみください。
Manaus Margarita Drive Conclusion
「マナウス―マルガリータ島8日間」激走のラストラン
マナウス帰還に向けて・・牙をむく赤絨毯の道
美味しいパンでいっぱいにしたお腹を抱えて荷物を愛車に積み込んだ我ら二人は、簡易宿泊所のおばさんとおやじさんに別れを告げて再び愛車アミーゴを転がし始めました。
時刻は既に朝の8時をまわっていたのです。
今日も天気はすこぶるよく鼻歌交じりで運転する余裕が出てきているのは、もう少しでマナウスにつけるという安堵感の現われであろうと感じていました。
しかし実際にはまだまだ先が長いわけでそう安心もしていられないのが現実である。
相変わらずジャングルの中で見る景色は全く変わり映えがせず、真っ青な空の下に広がる真緑が強調されています。
その中を延び続けるおおよそ530㎞にも及ぶ赤絨毯の道は、時には生きている大蛇のようないでたちも見せ付けてきます。
いけどもいけども赤土の土埃は留まる所をしらず、少しでも他の車の後ろにつこうものなら顔中が真っ赤なおしろいをつけたようになる事も稀ではありません。
それにも増して驚くほど前方視界が遮られ、へたをすれば重大な事故に繋がるであろう事は容易に想像できます。
実際視界が確保できずに車を止めなければならないといった状況に何度か遭遇し、実際に車を止めなければならない事態もありました。
この赤絨毯の道は晴れていれば土埃で視界が遮られます。
しかし一旦降雨によって土が湿ればその状態は豹変するのです。
その恐ろしさは後に身をもって体験することになるのですが・・・
ほどなくして視界の先に分岐点が見えてきました。
運転をしていた僕は何のためらいもなく真っ直ぐに伸びた赤い道の方を選んで左側にはいっていったのです。
すると助手席から突然響く相棒の声、この分岐は右にいくのが正解というではありませんか。
正直に言うと僕は左側に入ることを深く考えておらず全く自信がなかったのです、したがって右に軌道修正をし進んだその先の処に遭ったガソリンスタンドで給油しながらスタンドのおやじさんに聞いてみた。
案の定マナウスにいくための正解の道は、右側に曲がるようにして入り込んでいたこの道でした。
それにしてもあのまま気がつかずに走っていたら、全く違った方向に延々と走り続け、何処まで行ってしまったのだろうと冷や汗の出る想いでした。
ガソリンの補給も終わり渇いた喉も潤いを取り戻し、気も取り直して意気揚々と車を走らせました。
車のスピードは相変わらず40km前後、飛ばしたくても飛ばせない状況が続くのです。
インディオ居住区の思い出
この辺はジャングルを焼き払って牛などを放牧している牧場が目立つ、それにしてもいつ見てもやせこけた牛達がおおいこと。
ブラジルの牛肉は筋が硬くて食べにくい印象が強かったが、ジャングルを駆け回っている牛達では筋が多くなっても仕方がないのかな~などと余計な事を考え一人納得していました。
この先にはインディオ居住区の管理事務所があることは往路の経験からわかっていました。
実は往路の記録の中で触れていなかったが、往路の通行時に当然インディオ居住区に入るための手続きが必要で、管理事務所に入った我らはドキュメントの審査を受け、我がサインを残してインディオ居住区に入ったのでした。
ブラジルでは先住民であるインディオの保護政策をとっており、ブラジル全土では未だ50以上と言われる程のインディオの種族が保護されていると聞いていました。
先住民であるインディオに対しては外部からの細菌などの持ち込みも厳しく管理されているのです。
わかりやすいイメージでいえば貴重品種の山野草の保護などのようにです。
従ってまた帰りもややっこしい事をいわれるのかと思っていると、何のチェックもなしでそのままインディオ居住区に入ることができたのです。
ここはインディオの生活が保護されているという事ですが、やっぱり実態は良く分からないという状況でした。
居住区の中に入っていくと、まもなく大きな川にかけられたコンクリート製の橋に出会う。
珍しくコンクリートの橋が架けられていたこの川を橋の上から覗き込んで驚いた。
川の中では大きな魚が群れを成して泳ぎ、あちらこちらで飛び跳ねているのです。
大きな魚の群れはまるで養魚場の水槽の中で泳ぐ魚たちのように、擦れ合いぶつかり合いながら泳いでるのです。
普通の川の中でこのように泳ぐ魚の姿は今までの記憶で見たことがないほど異様なこうけいでした。
だが注意しなければならないのはここはインディオ居住区の中であるという事ででした。
後で聞いた話ですが、ここに分け入って魚を捕っていた旅行者が裸にされて橋の上に転がされていたというのです。
当然死体で!
その時は釣りに興味を持っていなかった事がとても幸せだった気がしました。
なぜならば釣が大好きであったら当然釣道具ももっていっただろうし、川があれば釣りもしたくなっていただろう事は想像に堅くなく、このような景色に遭遇すればいくら時間がないといっても、針をおろして様子を見ただろうと思うとぞっとしたからです。
それにしても往路ではこの辺は朝日を浴び、蝶々の乱舞を眺め、インディオの歩く姿に興味を示しながら走り去ったため時間の長さが気になりませんでした。
一方で少しづつこの道路の怖さが分かり始めて、心の焦りのようなものが現われ始めていたような気がするのでした。
新たなる事件が・・・
我が愛車もわがままを言う事もなくここまでたどりついたと実感、我々も特にトラブルもなくここまでの所は順調でありました。
そうここまでの所は、だがここで問題が一つおきたのです。
ガソリンスタンドがあったので補給をするべく寄ったのだが、車が入るなり駆け寄ってきた店番のおばさんが”ガソリンはないよ”と告げてきたのです。
これには相当なショックを受けました。
ガソリンは原則としてガスステーションのすべてで給油をしておくというのが絶対でありますが、其の給油すべきガソリンがないといわれれば残念ながら従うしかありません。
ここで文句を言っても仕方のない事であり、ガソリンメーターを覗けば取敢えずメーターの目盛りは約半分何とか行っていけない距離ではないと判断しました。
腹を決めて次のスタンドまでいっきに走らせる事にしました。
ショックとこの先のガソリンの消費に大きな不安を抱えながら。
未だメーターの針が半分程度にある時は良かったのですが、時間が経つに連れてこの心細さが益々助長されていく事になるのは運転する誰もが知るところです。
ガソリンスタンドから次のスタンドまで凡そ100㎞ 。
我が愛車のタンク容量が約50リットル、燃費はリッター6-7kmとすれば計算上は20リットルあれば充分に走れるはずと判断できます。
然しながらメーターで4分の1くらいになるまではまだまだ気持ちに余裕もありました。
但し実際にどれくらいの距離を走ったのかも正確にはわからず、また車の距離メーターは大きなタイヤのお陰であまりあてにできないレベルに成っている事が予想され、道路にある距離を示す標識も整備されていない状況から、実際の距離が残りどれくらいなのかを正確に知る由もありません。
これには2人とも真っ青で、もう其の後はメーターの針と道路のにらめっこ、あの坂を登れば正面にプレジデントフェゲレードの町が見えるはずだとか、あのコーナーを曲がればもうすぐだ・・・などといいながら、だんだん冷や汗に似たものさえ感じるようになっていたのです。
実際の所道路は大きな上下のうねりを幾つも繰り返しており、一つの坂を登るとはるか正面に同じ景色が続きます。
ひとつクリヤーすれば次の坂が現れるといった調子で5-6回繰り返しましたが、やがて一つの大きなコーナーをクリヤーしてやっと待ちわびたプレジデントフェゲレードの町灯りを確認できたのです。
もうほとんど日が落ちて暗くなっており、少し前まではビデオ撮影をしながら気を紛らわしていたものですが、さすがに日が落ちると一言も話さずに燃料計とにらめっこの時間が続いていました。
やっとほっとしておもむろにガソリンスタンドへと車を進め給油満タンと頼んだ。
ガソリンを入れながらこの旅のことやこれまでの出来事を聞かせるとおやじさんは、この街道では良くある話だから予備タンクが是非必要だと説教めいた口調で話してくれたのが印象的でした。
予備タンクももたずにこのような旅を計画するほうが、無謀な行動であろうとその時改めて身につまされた思いがしました。
これでタイヤ、ガソリンの予備の必要性を充分思い知らされる事に成ったのだが、それにしても満足に用意もしていなかった状態でよくも無事に帰ってこられらたものだと喜び、内心はろくに反省もしていなかったことをのちに猛省しました。
ガソリンを入れて近くで夕飯と考えていたのですが、この町の様子は最初に書いたように赤土の埃で町中が真っ赤かの状態、レストランでも食べられる所はないだろうと後2-3時間の辛抱、マナウスまでの時間を耐えることにしました。
今はまだ夕方の6時ちょっとすぎたところであり我慢できない時間でもないと自分に言い聞かせながら・・・。
再び愛車に乗り込みマナウスに向けてアクセルを踏み込んだのでした。
ここからマナウスまでようやく100㎞程になった処である。
順調にいけば3時間程度でマナウスに着ける、と車を飛ばして??いると前方の道路上に水溜りがあるのを発見しました。
そこで我らが走り続けたこの1週間の間にジャングルの地に雨が降ったことを認識したのです。
往路ではこんなコンディションには一度も出会わなかったのだが、復路までの間に降った雨水のお陰であの赤土が悪魔の土へと変貌していたのです。
実際にこの赤土が水に濡れるととんでもなく摩擦係数が減少することは聞いて知っていました。
僕が認識していた雪道の摩擦係数など比較に成らないほど低下するものであることを身をもって体験することとなったのです。
それはどういうことを意味しているかといえば、いくら大きなブロックパターンがあるタイヤでもブロック間の溝のすべてに雨に濡れた赤土が粘土状になり、溝を埋めてまっ平らな表面にしてしまうのです。
まるで鏡面仕上げのようなタイヤ表面になり、併せて摩擦係数の極少かと相まって簡単にタイヤが滑ってしまうのです。
牙をむく赤絨毯の道
一度目の水溜まりは難なく乗り越えることができました。
往路では全く濡れ環境はなかったのですが、復路では同じ道に深さ30~50㎝もありそうな大きな水溜りが広がっていたのです。
2度3度と同じような水溜まりを超えていきながら、さすがに4WDと大きなタイヤの組み合わせは強いとこの時は信じていたのです。
次の水溜まりも難なく抜けて、其の先にいくと11トンの大型トラックの後輪が水溜まりにとられ、前にも後ろにもいけず立ち往生しているではありませんか。
道路いっぱいにふさいでいるものだから他の車が通過できず諦めの様子、我らも観念するしかないかと状況をよく確認してみると道路の端がわずかに小高くなっており
木々を切り倒して傾斜をつけている約2m幅くらいの部分にトラックをパスできそうな空間があることを見つけたのです。
”よし あそこをクリヤーしよう!”と相棒が言ったのです。
相棒は自ら其の場所に行き下見をして充分可能である事をチェックしてきたのです。
但し実はそこを抜けてトラックをパスした先に約10m近い水溜まりがあることも確認してきたのです。
当然そこはつるつるの赤土状態だから途中で止まる事は許されず、万が一途中でストップ状態になればそこからの脱出はほとんど不可能になると予想できたのです。
いよいよこのトライを実践するために愛車に乗り込み、ゆっくりと道路の左端に向かい道を外れ道路端の”のり面”の部分から、目的の場所に乗り入れ良い感じであることをたしかめながらゆっくりと進めたのです。
いよいよのり面を下るのだが、ここから先は水の中でありアクセルを踏んで推進力を確保しておかないと万が一エンストを起こした場合再起不能になる恐れがありました。
タイヤが大きいから水に浸かる恐れはないが、タイヤが跳ね上げた泥水がフロントガラスにも激しく飛び跳ねてくるので前が見えなくなる、その時一瞬エンジンが止まりそうに成るのを感じて慌ててアクセルを踏み込んだのでした。
いっきにアクセルを踏み込んだアミーゴは水しぶきを上げてトラックの向こう側に抜け出ることができたのです。
やった~と満足感を感じつつ、そのまま意気揚々と立ち往生のトラックを尻目に再び走り始めました。
あのトラックには申し訳ないが、我々が残っていても何も手伝う事ができない状態であったからと言い訳しながら走り抜けたのでした。
ただ雨に濡れた赤土の道はいろいろな所で其の牙を剥いてきます。
おりしもさしかかった工事中の坂道、緩い坂道ではあるが工事中で奇麗にならされた赤土は、その上を転がるタイヤにも奇麗に土を貼り付けていき、あの大きなタイヤの5cmもあろうかというブロックパターンの隙間をすべて埋めて更に3cmくらいの土を積み上げ、ブロックタイヤを大型のスリックタイヤにしてしまったのです。
この結果我が愛車はどうなったかといえば何をすねたのかご主人様の指示を聞かずに勝手に滑り出すありさまで、車はブレーキも踏まないのに斜めに滑り出していたのです。
また悪い事にこの道はかまぼこ状に成っており、また道路の両端にはガードレールすらない状態、道路の端は両側とも30mくらいありそうな断崖絶壁だったのです。
ここから落ちれば一貫の終わりといえる状況だったのです。
最初は何とか右に左にハンドルを修正しながら下っていたが、そのうち軌道修正ができない状態に成り、恐ろしくなって取敢えず車を何とか止めることに成功しました。
車を降りてタイヤを見てみると案の定前に説明した通りブロックを赤土で埋めた大径のスリックタイヤ状態になっていたのです。
思わずもうこれ以上僕の運転では心もとないと相棒に運転をお願いしたのです。
さすがに現地在住の彼は慣れているというか、何とか坂下の安全な所まで車を運ぶことに成功しました。
やはりこの先にも似たような状況になる可能性は高いとの判断から、この後も引き続き運転をお願いし一路マナウスまで向かう事にしたのです。
それにしても濡れた赤土の恐ろしさがこれほどの物とは、到底理解できていなかったのでした。
マナウスの灯が見えた
こんな騒動をつづけながらもやっと落ち着いて走れるようになってきたころ、まわりは既に真っ暗となっていました。
暗い夜道をひたすら走り続けていたら突然舗装の道が始まったのです。
我らが旅を続けている間にも工事は進んでいたようで、舗装の区間が予想よりも伸びていたのでした。
舗装になったのを喜んだ頃から灯りが所々に見え始め、大きなコーナーを廻ってジャングルが切れた途端に視界の正面には明かりの束が飛び込んできました。
そうマナウスの灯かりが目の前いっぱいに広がっていたのです。
ついに往復4000㎞のアドヴェンチャードライブは出発の地マナウスに無事着いて完結することができたのです。
その時が刻一刻と近づいてくる状況の中で疲れがどっと出てきそうでしたが、疲れを感じるゆとりなどなかったようでした。
うれしい~、やっと無事に帰りついた。
出かけた時は軽い気持ちで出かけてしまったが、途中から本当にマナウスに無事で戻る事が絶対条件と言い聞かせていました。
それがもうすぐだということを裏付けるように目の前に検問所が見えてきました。
時刻は夜8時をわずかにまわった頃だったと記憶しています。
検問所を無事パスして武田農場を横目にマナウス市街にはいっていく。
このマナウスの灯かりが妙に目新しく感じたのです。
懐かしい感じ!
ちょっぴりではあったが二人とも冒険者の気持ちを理解できたような気分になっていました。
もうマナウスに着いたのです。
安堵感と達成感と満足感が一度に襲ってきた感じで武者震いを感じていました。
マナウスに着いて相棒のお宅で夕食をいただき、腹が満足した所で我が家に帰り旅の垢と疲れを取るためシャワーを浴びて眠りについたのは言うまでもありません。
Manaus Margarita Drive Conclusionまとめ
地図を見て興味を感じたマナウスからマルガリータ島へのアドベンチャードライブでしたが、興味を持ったことを実現してみたくなった我ら二人の珍道中でした。
ブラジルマナウスから緑の大地のアマゾンジャングルを抜け、ヴェネズエラのマルガリータ島までの往復4000㎞のロングドライブが、予想もできていなかった未知の体験や繰り返し起こる大きな感動をものにできたとても有意義なチャレンジでした。
まだまだ自分の知らないことは世界の中、世の中に数えきれないほどあることも、そしてすべてを知ることなど不可能なことではあるがその中の一つでも二つでもチャレンジすることの大切さ、面白さを学ぶことができた気がします。
そして多くの人のやさしさに助けられこのチャレンジを完結することができたことを何よりもうれしく思いました。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。

