プロフィール
はじめまして 「Hajime no tabi blog」のKirari1184と言います。
僕の育った環境
育った環境は田舎の山麓、子供のころからチビで引っ込み思案な性格でコンプレックスの塊でした。
幼少期、少年時代俗にいうダメ男、チビ、引っ込み思案を言い訳にして
身体を動かすスポーツダメ、身体能力は何も無いのだと思い込んでいた。
そんな僕でも海外に出たことでコンプレックスを克服し、海外での仕事や旅行も自信をもってできたワケをお話します。
学校での席順は小学校でも、中学校でもいつも一番前の席。
友達も多くなく、友達と話すときも自信なさそうにはなす引っ込み思案の子供だったのです。
授業の体操やソフトボールでもみなと同じことがなかなかできない。
高校入学後も、席順はやはり一番前、指定席のようなものでした。
高校は元々は男子校だったのだが、僕の入学年から共学の道を歩み始めたのです。
でも最初の年には女子高生の入学は3名だけだったので、僕らのクラスに女子生徒はいませんでした。
他校との交流や通学途中で会う女子生徒に自信をもって話すことなどできない僕は、異性との交流でもコンプレックスに悩んでいた。
そのような僕の高校生活でしたが、卒業後の進路は某大手電器会社に入社。
高度成長期の真っただ中にあった当時は早く言えばだれでも入社できたような時代だったのだ。
時代は昭和「モーレツ社員」などという言葉がはやっていた頃、仕事は淡々とこなすも相変わらず引っ込み思案の性格は克服できず、人とのコミュニケーションがうまくいかずに一歩踏み出せない。
特に女性との距離を縮めることはなかなかできないと言った日々が続き、交際相手が出来るまでには相当の時間を費やしたものだ。
残念ながら今でもチビであることに変わりなく、現代社会の中では女子の平均身長にも届かない150㎝足らず。
個人的には平均身長と言った物差しでの表現方法は好きになれませんが、今では気にしないことにしています。
しかしながらこのコンプレックスを克服できたのが、意外にも海外への出張の機会だったのでした。
コンプレックスを克服できた海外出張
日本国内での仕事の進め方、働き方、人間関係、コミュニケーションに何かしっくりしない感覚を感じていた僕は、舞い込んできた上司からの海外出張の指示に飛びついたのです。
もちろん初めてのことなので、不安の塊でした。
- どう行けばいいの?
- 飛行機に乗ったことないけどどうするの?
- 言葉が異なる海外で、日本語しか話せない僕はどうすればいいの?
- 仕事の出張でいくのに、ちゃんと仕事できるの?
などなど、不安要素を数えたら終わりがないほど心配事が溢れ出してきたのだ。
しかしながら、結果的には好奇心の方が先に立ち、自分を変えるためにも異文化の世界に飛び込んでみたいとすぐにオッケーしたのです。
出張先はアメリカ合衆国西海岸のロスアンジェルス、女子の平均身長にも満たないようなチビの僕が、大柄な体格ぞろいのアメリカ人社会の中で働くことなど僕自身やっぱり不安はいっぱいでした。
言葉の問題もあり、現地には日本人スタッフもいることから安心できる部分はあるも、直接会話が出来ないもどかしさは当然ありました。
でもアメリカの地を踏んだ時、目に入ってきた風景の中には、大柄な人ばかりでなく僕よりも低身長であったり(小人族という種族が居ることを後から知ったのだが)、異様に太っていたり様々の人たちがいることを知った。
チビである自分が日本で暮らしてきた中で、自分は劣っているのだ、脚は短いし、運動神経は劣っているしと劣等感を感じていたのだ。
アメリカの地に降り立った時に感じた第一印象が、日本にいるときよりも楽にいられそうな雰囲気だったのだ。
言葉が通じないので、細かな部分まではわからないが、多種多様な人種が居て、皆自信をもって生きている、仕事をしていると感じた。
自分の意見をきちんと持って、アピールしていることを感じたのでだ。
今までの日本の中では、ほぼほぼ日本人同士の中で、比べては引っ込み思案を感じ、チビであることに劣等感を抱きながら、自信を持てず過ごしたコンプレックスの塊のような自分の殻を破れそうな感覚を持ったのです。
例えチビであっても、太っていても、人より劣っている部分があったとしても、比べる必要は全くないのだということを知ったのです。
海外出張、赴任を繰り返した日々
ロスアンジェルスの出張は約ひと月オーバーとなりました。
当初3週間ほどの予定だったのが、業務の遂行上延長を繰り返し、結果的に長くなったものです。
本人はこの状況を喜びと捉え滞在を楽しんでいました。
その間業務以外の時間は出来るだけ、外に出向き生の英語を耳にすることや、市場調査に充てたものでした。
街に出れば、職場以上に多様な人種の環境を肌で感じることができて、今まで自分の中で比べていたものはなんだったのだろうと自問してみました。
海外での生活環境や異文化に触れて、益々海外に興味を持った僕でしたが、会社を辞めて海外を転々とする事は難しいと考え、会社の業務推進の中で積極的に海外へ出向くことにきめたのでした。
海外で働くことの醍醐味は自分の力で、多くのことを成し遂げなければならないことです。
国内での職場、職域の多くはどうしてもセクション単位での仕事の進め方になりますね。
だからどうしても限られた空間の中での業務推進が求められる場合が多くなるでしょう。
しかしながら企業戦士が海外に出て働く場合、セクションの枠を超えて働かなければならない事案が多くなります。
企業の戦士として、海外派遣されていたとしても、日本人スタッフが十分にいるなどということはほとんどなく、多くは部署に一人二人のレベルなので、ほとんどの業務を現地スタッフと共にこなさなければならないことになるので広く知見が求められるのです。
それは個人で起業するのと同様に大きな責任も介在することになり、自分自身を成長させてくれるいい機会となるのです。
ロスアンジェルスへの海外出張を皮切りに、赴任・出張した渡航先
アジア圏 ・・シンガポール、マレーシア、中国、香港
ヨーロッパ圏・・ドイツ、イギリス、トルコ
アメリカ圏・・北米ロスアンジェルス、サンディエゴ(赴任期間1.5年)、メキシコ、
南米ブラジル(赴任期間延べ約8年)
他にプライベートでの訪問先
ポルトガル、スペイン、タイ、ヴェネズエラ、ペルー、パラグアイ、ボリビア、コロンビア、ギアナ等
ちなみに僕は若いころから、ラテン系の音楽を好んで聴いていました。
延べ8年間に及んだブラジルへの赴任生活で、益々ラテンの世界観が好きになっていきました。
きっとコンプレックスで閉じ込められていた気質がラテン文化に触れて表に出てきた感じです。
人間はどんな状況にあっても、環境と意思によって変えることができるのだと実感した瞬間でした。
僕が経験から学べたことは、コンプレックスに感じていることは思い込みの部分がおおきいという事でした。
どんなコンプレックスでも前向きにとらえて、一歩踏み出す勇気を持てればを殻を破ることができるのだと確信できた。
読んでくれたあなたに伝えたいこと
これまでに書いてきたとおりに、僕は自分に自信の持てないダメ男でした。
ある時、上司からの海外出張の指示を、自分を変えるための転換点と捉え一歩踏み出す勇気を持てたことが転機のはじまりでした。
- 自分に自信が無くて引っ込み思案になっているあなた。
- 海外に興味はあるが、今一歩踏み出せないあなた。
- 何らかのコンプレックスを抱え、殻を破れないあなた。
人は誰でも多かれ少なかれ悩みやコンプレックスをもっているもの。
そしてそれが唯一無二の強みになることもあるのです。
自分だけの狭い世界、狭い知見のなかで判断することは自分にとっても、他人にとっても良い事ではないことを知ったのです。
異なった文化、今までと違う環境のなかに、一歩踏み出してみる勇気を持てたこと、まさにそのことが僕の人生の転換点になったのでした。
チビで引っ込み思案というコンプレックスを抱えていた僕が、異文化を知って克服できたのです。
このことがこのブログを書き始めた理由です。
- 自分のコンプレックスに悩み、なかなか殻を破れず、一歩踏み出すことができない。
- 自分の好きな海外に飛び出せない、勇気が持てない.
このブログは海外に関するあれこれをテーマにして、実際に体験した怖い話や悩んだことなどをベースに「どう解決したのか」「何が必要なのか」など綴っています。
僕のすきなこと
ラテン系の音楽や文化に触れることが好き。
ラテンのノリが自分本来の気性にあっている感じがする。
それはブラジルで過ごした約8年間でさらに強くなったのかもしれません。
僕の嫌いなこと
他人と比べること。
平均という価値観
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