【回想録】アマゾンジャングル走破記(9)

ヴェネズエラからブラジルへ

「緑の大地を貫く赤絨毯の道」に魅せられて、飛び出した過酷な4000㎞の旅も、懸案となっていた検問所の通過も無事クリヤーし、一安心としたいところだが、まだ国境にも届いていない現状ではマナウスに近づいたと実感できるものではない。

ましてや最後に残る約530㎞という長丁場のアマゾンジャングル未舗装区間が待っており、赤い絨毯を敷いたような道路では何が起こるか全くわからない。

途中インディオの居住区も通り抜けなければならず、わくわくの反面ドキドキ感が半端ないのである。

 

国境の街サンタエレナへ

機関銃の銃口の恐ろしさから解放され、再び我が愛車とともに大平原のなかの一本道をただひたすら走り始めた。
相変わらず目にするものはただだだっ広いだけの草原と、其の中にぽつんぽつんと並ぶやしの木だけ、馬も牛も見る事なくなんと殺風景な景色なのだろう。

遥かかなたには煙が上がっているのが見えるから、多分人の生活はあるのだろうがそれすらも確認できないのだ。

それにしてもこの景色はいつもジャングルを見ている目からすればやっぱり別世界と映る。

今日もこの道で行き交う車はほとんどない、どうしてこんなに素敵な道で行き交う車が少ないのか不思議になってしまう。

遠くにはギアナ高地特有のテーブルマウンテンが相変わらずどっしりとしている。いつかあのテーブルマウンテンに近づきたい、傍でゆっくりと眺めてみたいという想いを強く持ちながら、走った事をおもいだす。
あの高いテーブルマウンテンからは世界一落差の大きな滝「エンジェルフォール」が落ちているはずなのだ。

車はやがてサンタエレナの町に入ってきた。

車のガソリンゲージは中ほどであったがここでガソリンを入れる事にした。この先の事を考えるとやはりここで入れておかなければ成らないのである。

しかし相変わらずここで買うガソリンは高い、内陸の値段とあまりにも違いすぎるではないかと憤慨しながらも、仕方なくいわれた通り支払いをしてそこを出た。

 

相棒が以前からいっていたのだが、ここのサンタエレナはブラジルと比べるといろいろなものが安いという事で、突然タイヤを買って帰ると言い出したのである。

確かに道路脇にはタイヤショップが目立つ。
其のなかの一軒に立ち寄り、中を物色していたが、どうも気に入ったものが見つからないらしい。

結局タイヤは買うのをあきらめて、町の中ほどにあった小さな商店街いるところに入り、お土産を捜す事にした。
小さな店内には処狭しと商品が置かれているが、どれを見てもどうもうさんくさいのが多い。

よく見てみれば確かに中にはまともなものもあるのだが!!

 

一軒のお店でアテンドしてくれた若い娘さんが”どこからきたのか”と聞いてきた。

マナウスからはるばる来たぜサンタエレナにと今までの中身を教えてあげると、興味深そうに聞いていたが、突然一人が”私マナウスで働いていたの”という。

聞けばデストリート(工業団地)で工員として暫く働いた事があるというのである。今でも友達が働いているといい、マナウスにもたくさん友達がいるという。

何処のエンプレーザ(会社)かは教えてくれなかったが、しかし何処にいっても世の中狭いものだなと感じた次第である。

 

そうこうしているうちに日はどっぷりと暮れて来た。未だこれからボアビスタまで約2時間車を走らせなければならない。

ここでゆっくりおんなのこと遊んでいるわけにもいかず、チャオ、チャオ(バイバイ)と店を出て再び車を走らせた。
時間は既に夜の7時になろうとしていた。

それにしても狭い町で、中を走る道路も狭く、夜で人が出ているから、道の狭さが更に助長されているのである。

 

ブラジル側国境での出来事

いくつかの角を曲がってどうにかサンタエレナの町を出ることができた。
暫く走るとまもなく国境が見えてきた、ベネズエラ側でたくさんのいろいろなことを体験し、ヴェネズエラ側国境の審査を無事通過して、再びブラジル側に戻ってきたのだ。

ブラジル側の国境も難なく通過できると車を出そうとした瞬間、突然ブラジル側国境の検査官が我々の車を止めさせ、”すぐに車外にでなさい”と指示をしてきた。
何事かと怪訝な顔でやむなく指示に従ったが、最初は一人だけ降りればいいのだと思い、助手席側は車内に残っていると ”おまえもだ”といわれ、二人とも車外に出されてしまった。

何も思い当たる節がないなと検査官を見ながら考えていたら、検査官がやおらスプレーを出して愛車内の消毒を始めたのである。
特に車内の隅々まで中に身を乗り入れて撒いている。これには我々ただ唖然とするばかりであった。

時間にすれば僅か2-3分だったのであろうが、終わるともう良いよといってくれた、おもむろに乗り込むが車の中は今の消毒液のにおいが凄い、思わず鼻をつまみたくなってきた。

それにしてもこのにおいはなんとなく懐かしい感じがする、そうだ子どもの頃によくかがされたあのDDTと同じにおいだったのである。

暫く暑いのを我慢して窓を開けたまま走ったのは言うまでもないが、それにしてもあの臭いはなかなか抜けず苦慮した。

 

気を取り直して走る事暫く、闇の先の方に小さな明かりが見えてきた。
なんとなく食事ができそうな雰囲気を感じとり、それと同時に腹が減っている事に気づく、今回の旅は走ることか食べることしか考えられないという残念な旅でもあったのだ。

そこで其の明かりを頼りにそこに車を滑り込ませた。

中では地域の人であろう5-6人のグループが食事中であった、なんとなくランショネッチ(軽食屋)という雰囲気の所であったが、まずテーブルについた。おじさんにビールを頼む、暫くして出てきたビールがなんと”ブラマ”だった。
ポラールではなく飲みなれたブラマだったのだ、懐かしく思った。

ふと気が付いた、そうここはブラジルだったのである。

無事にブラジルまで戻ってこられたのだ、何事もなく今まで来られた事に少しだけ感謝の気持ちが湧いてきていた。それでも先は長い、ここで安心している場合ではないと心でつぶやいていた・・・

ビールを飲みながら、食べ物を探る。何がおいしいかと聞くがどっちにしても肉くらいしかない、取敢えずはブラジル風焼き肉を頼んだ。

何の事はない、いつものブラジル料理である。しばらくぶりに食べた気がするがやっぱりブラジル料理である、特に大きな感動は覚えなかったのである。

 

ボアビスタの宿探し

ここから先30分も走ればボアビスタに着く、食事を済ませ落ち着いた所で車を走らせた。
一路ボアビスタに向け、もうすっかり廻りは闇の中で其の中を暫く走る事、先のほうに明かりが点々と見えてきた。
ボアビスタの市街に近づいてきたのである。

相棒から今夜のホテルはこの前のホテルと別のホテルに泊まろうと提案が出された、確かにこの前のホテルはなんとなく古臭いし、探せばもう少しましなホテルがあるのではと考えていた事もあり、すぐに其の提案に乗る事にして早速ホテル探しを始めた。

初めての町だし、元々予約を入れておいたホテルをすっぽかして別のホテルを捜すわけで、なかなか見つからなかったが、町行く人に尋ねながら、行き着いたホテルが、ほぼ町の中央部の大きなロータリーの一角にあった。
ボアビスタのホテル

廻りは白く塗られ玄関脇には大きなサボテンの柱がそびえたつ。見た所こぎれいな感じでこの前のホテルに比べれば快適そうであり、早速玄関を入ってレセプションで宿泊の手続きをした。

幸いな事に部屋は空いており、すぐに部屋に案内してもらう事ができた。

部屋に入って早速シャワーを浴びるべく準備をしようとしていたら突然目の前から明かりが消えた。
停電になったのである。

これには困った。取敢えずわけも分からないのでレセプションに電話をかけた、暫くするとろうそくを持ったおばさんがやってきて、部屋にろうそくの明かりを置いていってくれた。これでやっとシャワーを浴びる事ができた。

シャワーを浴びて落ち着いた所で、冷蔵庫の中身が気になりなんとなく冷蔵庫を開けてみるとちゃんとビールやミネラルウオーターや清涼飲料水が冷えていたのである。

やっぱり風呂上がりはビールだとばかりにビールを取り出し、一人で飲むのはチョットさみしいがよるも遅い事出し、明日も早いので相棒を誘う事なく一人ビールを飲みながらテレビに見入った。

そのうちにいつのまにか寝てしまったようで、気がついて起きてみた時は既に朝で、2~3個のビール缶が転がっていた。

 

朝食は階下のレストランへ早速出向いて、いつものブラジル風朝食の風景に行き会う。
但しならべてある食べ物はこの前泊まったホテルのそれとは随分違った感じがしたものである。

 

今日はいよいよ7日めの朝、これから先はまた赤の大地と格闘しなければならないのかと思うと少し憂鬱になるが、そんな事で悩んでいたら、マナウスにはたどりつけない、もう休暇は今日を含め3日しかないのである。

元々予定では休みを1日残してマナウスに戻る計画にしていたし、少しでも余裕を持って着くためには、前へ前へと進まなければならないのであるから、これからの先の過酷な状況を目の前にお互い気を引き締めた。

 

カラカライのフェリー

これから約200kmは未だ舗装区間であるが、あのカラカライまではまだ快適に走れるはずである。
案の定快適な走りは約束された。

予定通りカラカライの船着き場に着いた。前にはフェリーに乗る車が列を成して並んでいた。
出発予定時刻を確認してみると、予定通りに出るという事でしばし待つ事にした。

今回は往路でのあの苦労をしなくて済んだことが何よりも救いでした。

それにしてもいく時の苦労を考えれば、この帰り道は今の所快適であった。
程なくして乗船開始、のってしまえば10分ほどで着いてしまうほどのフェリーで、渡ってからいよいよ未舗装区間の始まり、緑のなかの赤絨毯を走る旅が再び始まることになった。
My car in RB-174

これから約530km考えればまだまだ長~い大変な道のりである。

延々と続く赤絨毯は登っては下り、またはるか前方に上り坂を見せながら、同じ景色を繰り返し見せていた。

もう時間は昼近く、このままマナウスまで帰るのには未だ10時間以上も走らなければならない状況で、どちらからともなく今日は途中で一泊しようと言い出す羽目になったのである。

もうちょっと走れば往路の時、ボアビスタの軍隊の一団にであったあの部落に到着する。
確かあそこには簡易宿泊所があったはずといいながら、まずそこまでひたすら走り続ける事にした。

 

ジャングルの簡易宿泊所

それにしても穴ぼこだらけの赤絨毯の道はいつまで立っても同じ顔を見せており、走りにくい事このうえない状況である。

暫く走り時刻が午後4時を廻った頃、あの小さな部落に着いた。ちいさなランショネッチのような所でチョット腹ごしらえをする、やっぱりビールは離せない。

そこのおやじさんに、この部落に泊まれる所はあるかとたずねると、2軒あるという。
程度の良いのはこの近くにある宿泊所だと教えてくれたので、そこを捜して行き着いた。

そこで部屋はあるかと聞くと、人の良さそうなおばさんが”クーラー付きは15レアイス、クーラー無しは9レアイスだ”といってきた。
簡易ホテルポウサーダ

それはもちろんクーラー付きにしてくれと2部屋クーラー付きをお願いした。

部屋に案内してくれたのだが、これが4畳半くらいの小さな部屋にシングルベッドが一つ置いてあるだけ、なんとも殺風景な部屋で、コンクリートの床があるだけである。

シングルベッドと言えば聞こえは良いが、病院にあるようなあのシングルベッドといえばなんとなく想像して頂けるのではないだろうか?

部屋の片隅にはシャワーと便座が並ぶ、なんとなく独房という感じがしないでもない。

それでも疲れた体を横たえるのには充分であろう。廻りには別段何もなく、それでもおくのほうにはディスコがあるらしく夕方になってぞろぞろと歩いていく人たちが目立っていた。

 

取敢えず落ち着いた所で近くのレストラン?に夕飯を食いにいった、何処で食べても代わり栄えのしないブラジル料理を食べて腹を落ち着かせた。

そのまま何もする事がないので、あの部屋に戻りテレビを見る事もなく、本を持っていくのも忘れたため本を読む事もなく、ここでもいつのまにか眠りに就いたのである。

それにしても何もしない事の退屈さはやっぱり耐え難いと感じた次第である。

 

朝の光を感じて目を覚ますとなんとなく良い臭いがしてくるではないか、、

ドアを開けてみると食堂のほうからにおってくる、其の臭いは焼き立てのパンの臭いであった。

ここの朝食は焼き立てのパンとコーヒーという事で、早速頬張る事にしたが、食べてみるとやはり焼き立てだけあって美味い、コッペパンのようなものであったが、ハムを挟んでおいしさを満喫した。

おやじさんはコカ茶のようなものを特製のカップに入れて飲んでいる、非常にゆったりと時間が流れている感じが自然に感じられたような気がした。

 

食事を終えて部屋に戻ろうとしたら、今度は果物の臭いが鼻を突いてきた。よく見ると夕べは暗くてわからなかったが、カカオやジャッカ等の果物が庭に並ぶ木の上についていたのである。
カカオ

これらを眺めながら食事の後のひとときを楽しんだ後、支払いを終えて再び赤い絨毯の道へと走り出した。
残り約300㎞先のマナウスに思いを馳せながら、これから起こるであろうアクシデントは未だ知る由もなく・・・

 

あとがき

「緑の大地を貫く赤絨毯の道」という響きに魅せられ、アマゾンのジャングルを貫く1本の道を走破してみたいと始まった8日間に亘る4000㎞のドライブ旅も、過酷な状況を繰り返しながらも、無事に残り450㎞程迄戻ってきた。

4000㎞から比べれば残り僅かな450㎞程度であるが、その過酷さはまだまだ続くことになるわけで、マナウスの地を踏んで初めて無事に帰ってきたと思える旅になることでしょう。

次回最終回となりますが、引き続きお楽しみいただきましょう。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

アマゾンジャングル走破記(10)はこちら

 

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Posted by hajimenotabi